「良心の呵責に従うのが非常に難しい世の中」第38回東京国際映画祭で『明日のミンジェ』が上映。作り手たちは勇気をもってテーマに向き合った。

レポート

巻頭写真 (左から)パク・ヨンジェ監督、主演のイ・レ、エグゼクティブ・プロデューサーのキム・ソンウン
取材・文:後藤健児

 2026年の今年も東京国際映画祭が開催される(10月26日~11月4日を予定)。本記事では、昨年に開かれた第38回で特に印象深く、いまのところ一般劇場公開も決まっていないが、埋もれさせてはいけない一本を紹介したい。韓国映画の『明日のミンジェ』だ。
 孤児院で育った高校生のミンジェは陸上部の花形選手だったが、才能へのねたみと出自への蔑みから、苛烈ないじめを受けている。一方、同じ陸上部のヘリンは能力ではミンジェに劣っていたが、裕福な彼女の両親の介入によりヘリンが優遇されてしまう。味方のいないミンジェは焦りから、ヘリムを妨害するために一線を越えた行為に及ぶ。誰にも気づかれなかったはずだったけれど、コーチのジスに知られてしまう。呼び出されたミンジェは、ジスから思いもよらぬ提案をもちかけられる。それは“代理受験ビジネス”だった……。
 ここには、重荷を背負った主人公がスポーツに打ち込んで未来を切り開くようなわかりやすい青春ストーリーはない。ミンジェの置かれた立場は確かに厳しい。しかし、彼女は自分の成功のために他者を傷つける手段をとってしまう。映画はミンジェのプライド、野心、ひたむきさを見つめる。いっとき訪れた連帯と、すぐあとに訪れる別離。そして最終的に直面する罪と罰、それぞれの重さ。清濁併せ呑んでミンジェは走る。駆けた先、息を切らせたそのときに自分を褒められる一瞬間があれば、人は明日を信じて生きていけるのかもしれない。そんな勇気をもらえる作品だ。
 10月30日、TOHOシネマズシャンテでの上映後には、監督と脚本を担ったパク・ヨンジェ、ミンジェ役のイ・レ、エグゼクティブ・プロデューサーのキム・ソンウンが来日登壇し、観客とのQ&Aに応じた。
 ミンジェの有機的な身体性があってこそ本作はリアリティを獲得した。本当の陸上選手に見えたとの質問にイは「撮影前は一度も経験がありませんでした」と答え、徹底したトレーニングやランニングを続けた結果、ミンジェと同化できたことを明かす。
 続いての質疑はミンジェの心情に関するもの。カメラを固定させずに揺らしていた意図を問われたパク監督はこう説明する。「この作品は成長ストーリーを描いています。世の中について十分に熟知していないミンジェの考えを表現したかった。揺れる感情、価値観を撮影監督と相談しながら、揺れている画に決めました」とミンジェの心情に寄り添ったカメラワークだったという。
 ミンジェが引きずり込まれる“代理受験ビジネス”について。日本でも大学入試などで替え玉受験の事件が報じられることがある。韓国での状況はどうなのか。「韓国では、(映画で描かれたような)事例が実際にあったと記録に残っています。いまは発生していませんが、そういうリスクはあり、また起きるかもしれない。そう思ってシナリオを書きました」とパク監督。
 再びイにミンジェ役で難しかったことについて質問が寄せられる。イは「ミンジェは成長する過程で、様々なことを経験します。彼女の感情を表に出すべきかどうか、撮影中はずっと悩みました」と撮影時を思い返しながら、そのとき抱いていた心情を述べた。
 ミンジェと対になる存在として登場するヘリン。ヘリンもまた、ミンジェとは異なる葛藤を抱え、彼女なりの答えを出そうともがく。闇に落ちていくミンジェに対し、ヘリンは光を信じて前に進む。ふたりの関係性は光と影を表わしているのか。パク監督が意図を語る。「ヘリンは現実を、自由を見ている。そこに光を通して」と。ヘリンもまたミンジェと同格にストーリーを引っ張る、もうひとりの主人公といっていい。「ある方はヘリン、ある方はミンジェに共感したくなる」と本作が“明日のヘリン”でもあることを語った。

別日の上映後にはコーチのジス役クム・ヘナも登壇
クムは本作を「誰にでもある個人の良心に関するストーリー」と感じたという

 インディペンデントの座組で映画を作ることは当然ながら大変な作業だ。日本より支援体制が整っている韓国であっても、それは変わらない。エグゼクティブ・プロデューサーのキムは監督のビジョンを具現化する苦労を振り返りつつ、「この映画が作られたのがちょうど一年前。一年後に皆さんと劇場で会うことができました」とこうして作品を届けられたことを喜んだ。
 映画は完成し、上映を迎えることもできたが、その出来にはどこまで納得しているのか。パク監督は「もちろん、完璧ではありません。でも後悔はない。なぜかというと最善のためにすべてを尽くしたからです」と迷いなく答える。
 最後に、質疑の内容はあらためてテーマに戻る。人間の葛藤を描きたかったのかと問われたパク監督。「良心の呵責に従うのが非常に難しい世の中。このテーマを、正面から勇気をもって扱いました」と伝えた。
 そして、パク監督たち大きな拍手に包まれながら壇上をおりていった。パク監督もイも、キムプロデューサーも、日本の観客とのわずかばかりの交流の時間を最後まで楽しんだようだった。
 近年、韓国のインディペンデント映画は日本で続々と紹介されているが、観られるべき作品はまだまだたくさんある。今年の東京国際映画祭でも韓国映画の新たな才能を目にできるのだろうか。
【本文敬称略】

第38回東京国際映画祭は2026年10月27日~11月5日の期間に開催。