「“望み”は存在するのかをお客さんに伝えたいと思っています」依頼された理想の人物になりきる男の悲哀を描いた『PEACOCK/ピーコック』が公開中。ベルンハルト・ウェンガー監督へのインタビューで他者とつながることの意味をうかがった。

レポート

巻頭写真 ベルンハルト・ウェンガー監督
取材:後藤健児 大川優花
文:後藤健児

 そこにマティアスはいる。ある日には知的な恋人として。また別の日には出来のいい息子として。あるいはチンピラとしても。なぜいくつもの“彼”が存在するのか。それが職業だからだ。顧客の依頼に応じて、役割を演じる代理人サービス「マイ・コンパニオン」の従業員であるマティアスは、今日も“誰か”になる。優秀な代理人として評価され、順調に仕事をこなす日々。だが、恋人のソフィアから別れを告げられたことで、日常に亀裂が生じていく。ソフィアは彼にこう告げた、「本当のあなたを感じない」と。己の仕事に“本当の自分”などは不要で、次の人物になりきるため、常に身も心も白紙の状態でいたマティアス。しかし、つながっていたはずだった彼女との関係性が壊れたことから、彼は自身の持つ“色”がなんであるのかを考えはじめていく。自分らしく振舞うイーナら、色とりどりの生き方をする様々な人々との出会いを経て、最後にマティアスを染めた色とは――。

『PEACOCK/ピーコック』ポスタービジュアル

 代行サービスは古くからあると言われており、特に近年の日本で注目が集まっている業種だ。オーストリア出身のベルンハルト・ウェンガー監督は日本の「友達代行サービス」をリサーチして、長編初監督作『PEACOCK/ピーコック』の物語を作り上げた。ピーコックとは孔雀のこと。自身に目を向けさせるために極彩色の模様を見せつける孔雀さながら、あるひとりの人間がその場にいる人々に向けて“色”を身にまとう。カメレオンのごとく変幻自在に移り変わる色の変遷を、計算された衣装や空間設計と共に物語は紡いでいく。偽りの“個”を付け替える人間が直面したアイデンティティの危機を、おかしくも哀しく描きつつ、それでも人と人がつながろうとすることの愛おしさを優しく見つめる豊穣な人間ドラマだ。

“仕事として”誰にでもなりきるマティアス(演:アルブレヒト・シュッフ)

 マティアスを演じるのはアルブレヒト・シュッフ。『ベルリン・アレクサンダープラッツ』(2020年)、『ディア・トーマス 東西ドイツの狭間で』(2021年)、『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』(2021年)、『さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について』(2021年)、そして『西部戦線異状なし』(2022年)と、時代に翻弄され、過酷に生きる人間を演じてきたシュッフ。ウェンガー監督と組んだ本作でも、“人は何を選択して、どう生きるべきか”というテーマを現代人として体現。『システム・クラッシャー』(2019年)では問題行動を繰り返す9歳の少女と信頼関係を築こうと悪戦苦闘するトレーナーを好演した彼が、今回の作品においては容易に他者との関係を構築できてしまう役柄なのが面白い。また、過去作とはひと味違う、ユーモラスで愛嬌ある仕草も見どころだ。

シュッフのコミカルな面もたくさん見られる

 7月24日からの日本劇場公開に合わせ、ベルンハルト・ウェンガー監督が来日。監督へのインタビューを実施し、映画に取り入れた色使いや、キャラクター造型におけるシュッフとの語らい、そして物語に込めた“希望”についてうかがった。

●自分の気持ちとの接し方を忘れてしまった者
――マティアスを取り巻く色使いが印象的です。自宅では白い壁や家具に溶け込むような白をまとい、レストランでは塗装されたダークグリーンと呼応する装いを見せる。イーナのアパートでは、その煉瓦色の空間に馴染む色彩を身に着けています。環境や相手に応じて役割を変えていくマティアス自身の在り方を、映し出しているように思えました。
ウェンガー いま挙げていただいた3つの中でイーナのアパートの場面に関しては、マティアスに変化が見受けられたあとになります。レストランでは、まだ彼の中に変化が見える前の状態。マティアスには孔雀の羽の色使いを意識しています。映画の初め、彼は白やグレーの服を着ることが多く、物語を通してだんだん色のついた服を着させました。衣装デザイナーのギッティ・フックスさん、撮影監督のアルビン・ヴィルトナーさんの協力のもとに衣装を決めていきました。

――マティアスの役を構築するにあたり、どのような演技指導や方法が使われたのでしょうか。プレス資料には「俳優と一緒に悩んだ」とありましたが、結果的に取り入れた具体的な演技法はございましたか。
ウェンガー どうして、いまのようなマティアスが出来上がってしまったのかを、演じたアルブレヒト・シュッフさんとよく話しました。マティアスは決して感情がなくなってしまったわけではなく、感情を隠す癖がついてしまった。仕事をしていくうちに、安全バリアのようなものを自動的に作っている。顧客に深入りしないよう、自分の気持ちをシャットダウンしてしまう。そうしているうちに、自分の気持ちとの接し方を忘れてしまった。あと、これはシュッフさんが比喩として仰っていたことですが、立体駐車場などで車を探しに行く感覚。地下の3階、4階、5階の深いところまで自分の車を探しに行く。彼はそのような表現をしていましたね。それにAIとの比較も話しました。AIはどれだけ周到に用意ができても、何をするべきかのプランがプログラムされていないと、次に何をしたらいいかわからなくなってしまう。ではその見失った状態とはどんなものであるかを細かく話し合いました。マティアスがじっと人を見つめるシーンが多くあります。次に何を言ったらいいのか、どういう反応をしたらいいのかわからないからあんな表情なのか。それとも次に何が起こるかわからないからなのか。そういったことをシュッフさんと話しましたね。

マティアスの移り変わる出で立ちにも注目

●帰属していると自然に思えること
――上流階級のパーティやイーナと出会う場所など、様々なコミュニティが登場し、皆その中で自分の居場所を守ろうとしているように思えます。マティアスはどこにでも現れ、その実どこにも定着しない浮遊した存在です。本作における“人の居場所”についてはどのように捉えていますか?
ウェンガー 面白い質問をしてくださり、ありがとうございます。上流階級については、基本的に彼らは自分をよく見せることばかりを意識した人たちだと思っています。ただ、いまとなっては、わたしたちも同じようなことをするんですけれども……。とにかく、上流階級は昔から自分のことをよく見せようとしていた。王政時代、当時の皇帝などはゴールドで着飾ったり、立派な宮殿を建てたりと、自分がいかにその権力を誇示しているかを見せていた。なぜ、上流階級の人たちがそういうことにこだわるかと言うと、他にやることがないからです。金銭的にも食べ物にも困っていない。彼らにとって問題なのは、自分がいかによく見られているか、十分に自分自身をアピールできているか。マティアスは上流階級の中で、仕事として役を演じていますが、じゃあ彼がその一部になっているかというと、そうではありません。マティアスの恋人ソフィアは彼に、本当の自分を出してほしい、本当のあなたの姿になってほしい、そう期待していた。だけど、マティアスは上流階級の人たちといるときに求められるような完璧な彼氏を演じることしかしない。彼は他者との関係性の中に本当には属しておらず、フェイクの存在だった。つまり、そこに帰属しようとしている感情ではなく、帰属していると自然に思えることが大事なんです。

人それぞれの“居場所”についての物語でもある

自分が何を好きで、どうなりたいか
――本作は痛烈な皮肉を込めたブラックコメディの様相を呈しつつ、“あたたかさ”や“希望”も感じられます。
ウェンガー いま、この世界を自分が見たときに、ユーモアが見つけられないと感じているんです。まさに今日の天気のような気候変動(インタビューの時間帯、急な豪雨に見舞われた)や、戦争、AIの台頭など、いささか笑いがない世界になっているなと。一方で、わたしは人生というものに対し、ユーモアをもって楽観的な視点で見られるところがあります。映画を作るときも、アートハウス系のエッセンスと、ユーモアのバランスをうまく取っています。また、あたたかみやシンパシーも残したいと考えています。“ブラックコメディ”というと、登場人物にシニカルなエッセンスを含むことが多い。わたしは映画を作るとき、よく主人公を難しいシチュエーションに放り投げる。どう打破していくか、その状況を通して、“望み”は存在するのかをお客さんに伝えたいと思っています。

――スタイリッシュで洗練されたインテリア、建築が見られましたが、あれらは監督にとって身近なものですか? あるいは何かの理想を反映した“像”だったのでしょうか。
ウェンガー ウィーンで撮影したのですが、色々な見所があるウィーンの街の中で、これまであまり映画で使われたことのない場所を使用するよう心がけました。例えば、コンサートのシーンは温室を使って撮影しています。あのロケーションを見つけるとき、奇妙で一風変わった場所を見つけるようにしていました。今回、あの場所を上流階級の人たちがコンサート会場に使っていることが、視覚的なユーモアとして訴えかけたと思っています。もうひとつ、レストランのシーンで、天井に黒い線の模様が入っています。あれは比喩となっていて、マティアスの頭の中を表現しているんです。頭の中の混沌を、あの線で示しました。

ロケーションの視覚的効果も入念に計算されている

――短編『EXCUSE ME, I’M LOOKING FOR THE PING-PONG ROOM AND MY GIRLFRIEND』(2018年)でも失踪した恋人を捜しながら、自分自身と向き合う青年が描かれました。他者との関係性の中でアイデンティティを見つけようとすることは追求しているテーマなのでしょうか。
ウェンガー 人の死を扱った場合は、ちょっと笑いに変えられません。でも、人との別れは見せ方によって笑いに変えて昇華できる。映画を作る際、“愛と死”を念頭に置いています。誰かとの関係性が壊れることは愛の死です。そして、人を失う悲しみを乗り越える。この映画を通して言えるのは、マティアスが立っているところは彼のスターティングポイントであること。恋人との関係が終わり、そこからまた回復していく。わたしの中でいつもテーマに扱っていることとして、特に若い人に向けてなんですけれども、自分が何を好きで、どうなりたいかを常に思考することが大切だと。現代においてはSNSがあり、パーフェクトに見せなきゃいけない、自分を偽らないといけない、そういった状況に対するテーマをいつも考えています。

『PEACOCK/ピーコック』
2026年7月24日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町 新宿武蔵野館 アップリンク吉祥寺 ほか全国順次公開中。

監督:ベルンハルト・ウェンガー 出演:アルブレヒト・シュッフ、ユリア・フランツ・リヒター、テレサ・フロスタ・エッゲスボ 他
原題:Pfau – Bin ich echt? |オーストリア・ドイツ|2024年|102分|カラー|ドイツ語・英語|スコープ|5.1ch|G
日本語字幕:常磐彩|字幕監修:サミュエル・ドロン|協力:オーストリア文化フォーラム東京|配給・宣伝:カルチュアルライフ
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