『大統領のケーキ』甘くておいしい、「大統領のケーキ」をつくるために。

レビュー

文:大川優花

 1990年代、独裁政権下のイラク。戦争と貧困に苦しむ国民をよそに、国を挙げてフセイン大統領の誕生日祝賀の準備が進められていた。各学校にケーキを用意するように命じられ、くじ引きで9歳の少女ラミアがその担当に選ばれる。後日、材料を買うために祖母と市場に出かけたが、祖母の目的は経済的に面倒を見切れなくなったラミアを養子に出すことであった。その事実を知ったラミアは咄嗟に逃げ出し、“友人”の雄鶏ヒンディとクラスメイトのサイードと共に、ケーキの材料集めに奔走するのであった――。

 衝撃である。ハサン・ハーディ監督は本作で、ラミアとサイードにあらゆる映画の子どもたちの姿をよみがえらせたのだ。『赤い風船』(1956年)のパスカルの自由奔放さを。『ミツバチのささやき』(1973年)でのアナの瞳の揺らぎを。『友だちのうちはどこ?』(1987年)で大人たちに抑圧されるアハマッドの境遇を。そして、『亀も空を飛ぶ』(2005年)で戦争に巻き込まれる子どもたちの痛みを。本作は、それらの記憶を呼び覚ましながら、なお現代のイラクという現実に深く根を下ろしている。

 教室のシーンでは、『大人は判ってくれない』(1959年)を彷彿とさせるような、抑圧的な教師が描かれる。そして子どもと大人の分断がここでは強調される。しかし、単なる世代の隔たりではなく、その根底には生活の貧しさによる人々の余裕の無さがあるだろう。街へ出て子どもが大統領のケーキの材料を集めなくてはいけない一方で、大人たちは商売として、容易くそれらを渡すわけにはいかない。生きるためには他者に情けはかけられないのだ。ハーディ監督は、その切実な社会を冷徹に映し出している。

 単純な問題のために子供が奔走する、という構図はやはり『友だちのうちはどこ?』を彷彿とさせる。だが今回、ラミアは孤独ではない。ヒンディとサイードという心強い仲間がいる。雄鶏のヒンディは、意図せず道端でラミアに拾われるが、そのままおとなしくラミアの腕の中に収まる姿はどこか愛おしい。同時に監督によれば、「雄鶏は天使や悪魔を見たときに鳴く」というイラクの言い伝えを踏まえ、単なるマスコットではなく、物語を導く神聖な存在として映画の中に組み込まれている。サイードもまた、ラミアにとって重要な伴走者だ。どこか頼りない部分を持ちながらも、彼はラミアに精神的に寄り添うことのできる存在である。父親は戦争によって片足を失い、そのため息子に盗みをさせるほど生活は困窮している。クラスメイトからその境遇をからかわれながらも、サイードは家族への愛情を失わず、そのまっすぐな眼差しはラミアの心を確かに支えている。こうして本作は、子どもの小さな冒険譚であると同時に、苦しい戦争の時代の中で生まれる連帯の物語として広がりを見せる。友人として、そして時には少年少女のささやかな青春として、ラミアたちは切実な現実を生き抜いていくのである。

 また一方で本作は、女性映画的な側面を備えている。客の女性は砂糖を売るよう商人を説得し、店先で歌う女性は落ち込むラミアの手をそっと取る。そして、ラミアの失踪に衝撃を受け倒れた祖母に寄り添うのもまた女性医師だ。もちろん、優しさが女性だけに属するものではない。郵便配達員や看護師など、行く先々で男性たちの善意にも救われる。しかし、それでもなお浮かび上がるのは、イラク社会を覆う宗教的規範と、その奥深くに根を張る家父長制の構造である。子どもであり、しかも少女であるラミアにとって、この勇敢な奔走はやがて危険へと変わっていく。その旅路のなかで彼女が手渡されたもの。それは、バトンのように連なっていく女性たちの連帯の記憶ではないだろうか。

 圧倒的なのはショットの精密さである。本作は、西アジア映画的なリアリズムの視線と、ハリウッド的な物語駆動の編集を鮮やかに融合している。まず観客は、波の揺らめきや夜の灯りの美しさに目を奪われるだろう。同時に、顔や手のクローズアップを差し挟むことで、人物たちの息遣いを生々しく立ち上げながら物語を進行させていく。長年ジャーナリストとして現実を見つめ続け、さらにニューヨーク大学で映画教育にも携わってきたハーディ監督の経験は、この画面の隅々にまで行き届いた“巧さ”として映画に表れている。監督は自身に影響を与えた作家として溝口健二の名を挙げているが、それはとりわけ船上の場面における水面の描写に顕著だろう。光と水が織りなすきらめきは、決して偶然に捉えられたものではなく、周到に構築されたショットの中で、束の間の儚さを浮かび上がらせている。その水の質感は、溝口作品に通底する流動性や情感の演出を思わせる。同時に本作は、演技未経験者を積極的に起用することで、イタリアン・ネオリアリズム的な方法論も取り入れている。過剰に演出された芝居ではなく、むしろ生活の延長のような自然な身振りや視線が画面に定着することで、ラミアたちの置かれた現実の確かな実感を観客にも抱かせる。

 とはいえ、その巧みさは単なる技術的洗練にとどまらない。ハーディ監督は一つのショットの内部に複数の現実を同時に描き込む。ラミアがケーキづくりに頭を悩ませる後景には、地方の過酷な生活が広がり、サイードがスリを働く傍らには都市の活気と混沌が映り込む。そしてラミアが危機にさらされる瞬間、遠くから聞こえてくるのは大統領の誕生日を祝うパレードの喧騒だ。その対比が示すのは、国家的祝祭の華やかさの陰で、子どもの身体が社会の片隅へと追いやられていく現実である。戦争、貧困、そして大人たちが生み出した暴力のしわ寄せを、その小さな身体が引き受けている。

 さらに反復されるように画面に現れるのが、サダム・フセインの顔である。その肖像は教室や病院、あるいは道端にまで掲げられ、国家の影があらゆる空間を覆っていることを示す。そしてその肖像の前には、必ず子どもの身体が重なるように配置されている。未来へ向かおうとする子どもたちの生を押し潰す独裁政治。そのことを観客に忘れさせまいとするかのような、ハーディ監督自身の切実な訴えが浮かび上がる。

 そして我々は映画の素晴らしく、ぽっかりと穴の開くような余韻の中で、思い出すだろう。この物語が実話に基づくのだということを。そしてこの映画の外側にまで溢れ出している歴史と、いまなお続く現実のことを。

『大統領のケーキ』
7 月 10 日(金)より、新宿ピカデリーほか全国公開

監督・脚本:ハサン・ハーディ
出演:バニーン・アハマド・ナーイフ、サッジャード・モハンマド・カーセム、ワヒーダ・サーベト、ラヒーム・アルハジ
プロデューサー:リア・チェン・ベイカー エグゼクティブ・プロデューサー:エリック・ロス、マリエル・ヘラー 撮影監督:トゥードル・ヴラディミール・パンドゥル 編集:アンドゥ・ラドゥ 音響:タマーシュ・ザーニ 美術:アナマリエ・テク
2025 年/イラク、アメリカ、カタール/105 分/アラビア語/シネスコ/カラー/5.1ch/英題:The President’s Cake
日本語字幕:星加久実/字幕監修:中町信孝/配給:松竹/PG12
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【執筆者】
大川優花(おおかわ・ゆうか)
大学院で映画を研究しながら、某映画館に勤務。映画秘宝公式noteで『シラート』評、月刊『映画秘宝』8月号で『お笑えない芸人』評を執筆。

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