#文学フリマで買った本『創るために病むな』(坂本フヒト著)

レビュー

文:後藤健児
 
 2026年5月4日(月・祝)に東京ビッグサイトで開催された文学フリマ東京42。誰もが作り手となり、思い思いの本を販売するイベントだ。来場者は18689 人 (出店者:5619人、一般来場者:13070人)に到達し、過去最高を記録。筆者も出店した本イベントのことは別途、振り返りたいと思うが、本記事では「#文学フリマで買った本」として、一冊の本を紹介したい。

 坂本フヒト著『創るために病むな』。マニフェストでもあるコピーの“病はアイデンティティではない”に著者の力強い意志表明を感じる。本書は、大学で中原中也研究を行い、その後にCORE系マルチクリエイターとして活動を続けた著者によるもの。双極性障害、PTSD、ADHDなどの精神疾患を抱えながらも活動していたが、訪れたある出来事を機に入院や施設入所を経験。施設での人間の尊厳を奪われる体験を通じて、病に寄る在り方を手放すことを決意。
 そうして見えてきた、病と創作の関係性を、アーヴィング・ゴフマンやジャン・ボードリヤール、スーザン・ソンタグらの論を借りながら分析。当事者だからこそわかる自身の経験を踏まえた論考は、AIなどでは書き連ねられない、血肉がにじむ行として綴られ、真に迫る。SNS時代となってさらに加速する“病へのあこがれ”を、本人だけの問題ではなく、人間社会が生み出す構造上の問題であると喝破し、そこから抜け出すことの大切さを訴えていく。“生に興味を失い、死に傾倒したうらぶれ作家”としての印象を与えられることの多い太宰治だが、そのイメージは太宰の本質とは異なることも著者は鋭く指摘する(筆者も同意。『走れメロス』ほどの涙と笑いの詰まった、前のめりな青春エンターテインメント小説を上梓したのだから)。
 病みが創作を生み、それがまた病ませる悪循環に著者は心を痛める(文体こそクールだけれど、おそらく震える胸を抑えながらキーを打ち続けたのではないか)。この不健全なスパイラルは、近年ようやくまともに目を向けられはじめてきたハラスメント問題ともつながる。キャストを、スタッフを追い込むことで潜在能力を引き出そうとする愚かな行為。バカな話だ。先日観たある映画で、感情に支配されて一線を越えようとする者に主人公がこうたしなめる――「わずかな瞬間の快楽のために一生を棒に振るな」と。著者も病と創作の共犯関係に依存し、危険な状態に陥ることもあったそうだが、そこから社会復帰を目指すくだりは、煽情的な表現を排し、決して“消費”に回収されない闘病記として成り立つ。

“私は「病んでいるから描ける」という言葉を信じない。”
この言葉に込められた意味

 かつてアンダーグラウンドに居場所を見いだし、陰鬱なカルチャーに沈溺していた著者が、壮絶な体験を経たいま、やなせたかしの『アンパンマン』に心を動かされたと語る章は感動的だ。凄惨な戦争を経験したやなせが希求した“生”と創作の関係性に、現代社会の地獄を見た著者が共鳴する。ここには今年公開された映画『炎上』で、どうしようもない境遇に置かれた若者が、欲望と愛と憎しみと自己嫌悪が渦巻く都会の雑踏で体験する地獄めぐりと通じるものがある。地獄をめぐった先に照らされる夜明けの光。さんさんと輝くそれは、とめどなくあふれる生命力を、彼女や彼に等しく優しく与えるのだ。
 終章「それでも私は創る――創作は生の延長線である」にいたり、著者がたどりついた境地とは。この本を手に取り、滑らかな手ざわりの紙にインクで刻まれた言葉から感じてほしい。